ニューズレター vol.54 2025年12月号

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毎月発刊しているニューズレターの最新号を掲載しました。

こちらよりPDFで閲覧が可能です。修了生の体験談や施設の近況等、ぜひご一読ください。


体験談「かつてどのようで 何が起こり 今どのようか」 修了生 処方薬依存 S・Rさん

私は父母、2 つ上の姉の4 人家族で、東北に生まれた。部活も習い事も頑張ったが、勉強に関しては小学校ではできる方だったものの、中学からは中の上程度の成績。一方、姉は言わば“出来る女”であった。視野が広く、成績はいつも上位、男女共に良好な人間関係が構築できる、憧れの存在だった。何となく姉ばかりが優遇されているような感じもあり、「姉のようになれば親が振り向いてくれるだろうか」などと考えながら勉学はできる限り励んだが、大学は滑り止めへ進学した。それでも大学では友人に恵まれ、学業も学内ではそこそこ良い方で、国家資格にも合格し院へ進学した。コロナによる弊害もあったものの、父母や恩師の助けもあり、学業も就職先も自分の納得のいく結果を得て、上京することとなった。

就職1 年目は、自分の予想以上に上司や先輩に恵まれた。すぐに相談できる状況であったし、困りごとは何でも話せた。首都圏ならではの、多種多様なクライアントへの対応に頭を悩ませながらもこんな風に温かく育てられていくものなのだろうと、そう思っていた。休日は新宿へ赴き、ボランティア活動に携わった。公私ともに充実していたと思っていた。

そんな生活が壊れ始めたのは、1 年目の終わり頃だった。信頼していた上司が異動になり、私は部署内異動をすることになった。新しい上司にも、新しい管轄区域にも慣れていける自信が無かった。不安だった。

そんな時に、前述したボランティア活動で知識を持っていたOD を思いついた。元々私はリストカットを好んでいたが、表面上傷をつけずに楽になれる方法としてうってつけだった。新年度に入る前から少しずつ始め、仕事から逃げるように休職した後は自由の身になったこともあり、タガが外れたように3 日に1 度の頻度で使い続けていた。錠数も月を重ねるごとに増えていった。本命が高くて入手困難な時は、別の成分でも効果のある安い薬を通販で購入した。

自分の力で断薬し、薬の頻度を減らせたこともあったが、感情の問題が起こればすぐに薬を使った。溜めてきたストレスを発散するために、錠数は100を超えた。そんな中で、職場には「薬は何ヶ月も止まっている」と嘘をつき、職場復帰訓練を始めたが、それもODが酷くなっていく一方で、馬鹿正直な私は訓練のスタッフに話すものだから当然中断することになった。復職の失敗は、私の中での初めての底つき経験だった。もうどうにもならなかった。当時の病院からは「自分でブレーキをかけないとダメだ」「どうして人生袋小路に入ると分かっていながら止められないのか」と言われた。自分でも分からなかったし、何をどうすれば良いのか分からなかった。「もう私は誰にも理解されず、薬と一生共にするのか…まぁそれでもいいか、自分が手を出したのが悪いのだし」と、諦めさえ感じていた。この頃私はバッグの中にいつでもODできるよう薬を潜ませていたし、家に帰れば1000錠もの薬が待っていた。減ったら不安になるのでまた買いに行く。当時はこれが狂っているとは思っていなかった。そんな中で産業医から転院の提案をされ、さらに転院先の相談員から施設を紹介され、RDへつながった。

RDでプログラムを知り、こんな自分でも回復する方法があるのだと安堵した。無論、理解に悩むところも多々あったが、RDの先行く仲間とスタッフからの助言を得ながら、半信半疑で取り組み続け、ステップの効果というものを感じ取っている。たまに癪に障る言葉や対応を受けることもあるが、ある意味考え方や行動の傾向を知るためには助かっているところもある。色々な意味で、RDには助けられているのだ。

RDで特に得られたと思っているのは「居場所」である。私が薬を使っていた頃というのはとかく孤独であり、周囲からは「ODなんてやめなよ」と言われてもやめなかった(やめられなかった)し、やめる理由も分からなかったので安心できる場所もなかった。RDにつながって、回復の方法を知ったと共に、私がどこにも居場所がなかったことにも気づかされた。過去も考え方も自分自身の思いを仲間が受け止めてくれた。

正直今でも市販薬は好きだ。あの楽になった気持ちは頭に焼き付いたままだ。シートや瓶の形、薬の箱の色等々、薬の姿かたちは忘れられない。だがまた薬に手を出したらどうなるのか、それは仲間たちが示してくれている。「もう楽しく使えないんだよね」と、再使用した仲間が言った。今でも心に残っている言葉だ。もう薬は私を助けてくれない。私が助けを求める先は薬ではなく、社会であり、仲間なのだと、そう伝えてくれている。日々そういった気づきと考え方の修正の連続である。だが、そのおかげで私は今も薬のいらない生活ができていると思っている。

「今日だけ」過去の私が一番分からなかった言葉で、今の私が一番好きな言葉である。先のことは分からない。もしかしたらこれから仕事をなくすかもしれないし、明日死ぬかもしれない。そんなことは誰にも分からない。だからこそ、今日1日と自分自身を大事にしていきたい。そう思っている。


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