修了生の体験談、それぞれの回復 Vol.2

RD(リカバリー・ダイナミクス®)プログラム修了生、それぞれの回復の物語をご紹介します。

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居場所

薬物依存症 Sさん

 薬物依存症30代男性、ゲイです。

 20歳頃から違法薬物をセックスドラックとして使用。数年後逮捕されNAに繋がるも薬は止まらず。仕事や住む場所を変える、趣味を見つける、通院、薬物の中間施設に入寮。本気で薬を止めようと自分なりに試行錯誤をしたけれど再使用している状態。そんな中NAの仲間から「RD」を進められ通い始めました。

 RDの良かったところは沢山あります。真っ先に浮かんだ事は居場所ができたことです。根無し草だった自分が3年間通うことができました。分かち合いで思わず泣きながら話した事、放課後、依存対象の垣根を超えた「あるある話」で盛り上がり、夜のミーティング会場まで連れ立って歩いた経験。仲間にとらわれ苦しんで、自分の特徴が見えてきたり。ふとした瞬間にその当時の思い出が頭をよぎり、仲間の顔が浮かぶ事で独りじゃないと気づかせてくれます。利用を終えた今も関わりを持つ同期が居るのも心強く、「今日だけ」を生きる支えの一つです。居場所ができる経験は他の中間施設でも同じだと思いますが、私は薬物の中間施設を経験しうまくいかなかったので、再度中間施設を検討する際、ちょっと前とは違った施設候補としてRDはお勧めです。

 二番目にNAの取り組み方が変わりました。

 繋がる前はホワイトブックレットに記載されている12ステップはただ読んでいただけの「読み物」でした。

 私の中で国語の教科書のようなもの。施設内では12ステップを意識せざるをえないので実際に取り組むものという意識が通所するうちに芽生えました。またセッションの中でビックブックのみならず様々なくだらない疑問を一緒に考えてくれました。例えば、「自助が宗教ではないのになぜ教会が多くて寺は無い(少ない)のか」「タバコやコーヒーはなぜいいのか」「エディはゲイか」などいちゃもんみたいな疑問を馬鹿にせず考えてくれました。AAへとつながる依存症の歴史を知る事も、NAの仲間やプログラムを信じてみようと思う力になりました。不信感が信頼へと変わり、そうするうちに、仲間の話を聞く耳ができてきたように思います。「今まで通ったNAの仲間の話」「半年間で逃げ出した薬物の中間施設での経験」が私にとって必要だった事に気づき、すべては(RDも含めて)NAにあったんだとわかり、NAを大切にできるようになりました。

 他にもたくさんいいところがあります。通所施設だから通所の時間を仕事の時間に置き換えることでスムーズに社会復帰できること。施設内での遊びも思い切りやらせてくれたこと。美味しいお店が周りに多いこと。明るい教室。愛すべき大好きなスタッフの皆さん。菓子パンが手放せない私にうってつけ、施設の下にはスーパー。「大丈夫、やり直せる。」と一緒に回復の道を歩いてくれた仲間達。RDに繋がって本当によかったと思います。

飲まないで生きる

アルコール依存症 Oさん

 私の父方の兄弟は 五人中三人がアル中(父も含め)私はアル中のサラブレッドです(笑)

 もちろん私も、父とは違う!紙カップの日本酒は飲んでないから、アル中でない!と、否認しつづけてきました。家庭を持ち子育てに追われる中、夫にはもちろん(だって嫌われたくないから)誰にも「助けて、辛い、しんどい」が言えませんでした。そんな中、私を助けてくれたのはお酒でした。ご褒美の一杯が、いつしか、やる気を出す為の一杯。もちろん一杯で終わるわけはなく、気づけば朝から寝るまでずーっとほろ酔い気分。今思うとそれは連続飲酒です。でもブラックアウトなんておこしません。何故なら、そんなに飲んでいる事がバレたらお酒が飲めなくなるから。もう、その頃から私にとって1番大切なものはお酒になっていました。命よりも大切に思っていたはずの娘に夜中飲んでいる所を見つかり「もう飲まないで」と泣きながら訴えられる。その度に、私も泣きながら「ごめん。もう飲まないから」と約束をしました。でも約束を守れたことはなく、その罪悪感を消す為にまた、酒で気持ちをまぎらわす。そんな、日々を繰り返していました。

 「お母さん死ぬくらいなら、入院して欲しい!」この一言で、冷や水を浴びせられたように目が覚めました。そうか私も父が夜中酒を買いに行くのを、布団の中で泣きながら見ていました。お酒を飲む父をやめさせたくて、泣きながら「飲まないで」と訴えていました。今は私があの辛い思いを子供達にさせていました。こんな事に、今までどうして気付かなかったのか。いえ、当時の私も気付いていました。でも飲む事を止めることが出来ませんでした。だから全てなかった事にする為に、飲み続けなくてはならなかったのだと思います。今思うと、地獄のようです。

 そこからが私の命よりも大切なお酒を辞める日々が始まりました。3か月の入院。入院したら、お酒が飲めるようになる、先生が、なんとかしてくれる!と、甘ちゃんの私は思っていましたが、もちろんそんな事はなく。苦しんで、苦しんで、自分を丸ごと洗濯機に入れて、真っ白にしたい。もちろんそんな事もできません。もう、お酒を飲めない。絶望です。

 誰かから、AAと、12ステッププログラム学ぶ事ができる、RDってところがあると耳にしました。生き方を変える。私には、それが、希望の言葉に思えました。飲まない生き方。そんな事できるのか。でも、もうそれしかない!決心です。

 入院中からAAと、RDに通い始めました。仲間なんかいらない!プログラムさえあればいい!と、本気で思っていたが違っていました。RDの中で少しずつ、ゆっくりと。でも仲間を信じる事ができるように変化する自分、信じて飲まないで、コツコツ淡々丁寧に、やっていけば、新しい何かが、与えられる。

 この五年。色々な事が起こりました。娘の自殺未遂、父の自死。飲まないとやっていられない!!けど飲まないから乗り越えられた。本当に、飲まないで良かった。私は、酒を手放した。1番手放したくなかったもの。そのかわりに、今まで、想像もしなかった沢山の宝物を頂きました。仲間と、ハイヤーパワーと、12ステップ、謙虚、感謝、祈りとまだまだ出来てない事もあるけど、認めて信じてお任せ。

 いやー飲まないで良かった。心からそう思います。

必死で掴んだもの

アルコール依存症 Tさん

 2017年の秋、僕は勤務していた会社を自主退職(当然退職勧告を受け)していて、昼夜を問わずの連続飲酒。もう世間は薄手のコートを着ている時期(恐らく)、クーラーを効かせた部屋でただひたすらに強迫的にパック焼酎を飲み続けた苦しみは、どれだけ月日が経っても忘れることがあるわけがない。

  10月、胃がついに酒を受け付けなくなり絶望のうえ入院。真剣に酒を抜き、医療従事者の指示に従い、院内プログラムを受ける中、たくさんの人生を諦めている入院患者を横目にする日々でした。 そんな矢先、院内メッセージに来てくれたのがRDのスタッフでした。施設見学の際は、院内で疑心暗鬼になっていたこともあり相当おかしな言動をしていたと思います。あの時、経験豊富なスタッフ(瀬戸さん)が対応してくれたおかげで安心することができ退院翌日から繋がることができました。もしあのとき、”マトモな対応”をされていたら、追い返されたと思い込み、今は無かった。そんなわけで、「ここでダメならマジで人生終わる」という気持ちで本当に必死で通所を始めたのを覚えています。

 RDでのプログラムの中身は、たくさんの仲間やスタッフが広報してくれている通りです。あの地獄の連続飲酒を最後に、今のところ「一杯の引き金」を引くことなく約5年。今は、経済的にもキャリアも、健康も、交友関係や精神的な充足も、明らかに飲んでいた頃を遙かに超え、過去最高を更新し続けている日々です。当時の僕の担当スタッフ、その他スタッフ、たくさんの仲間たち、全てがプログラムを通して僕を更生させてくれました。その効果がいかほどのものなのかは、説明するよりも僕がこれからも結果で証明し続けられればいいなと思っています。そのためには自分のためにも仲間のためにも、皮肉にもこれから繋がってくるであろう未来の仲間のためにも、RDでの日々を絶対に忘れないこと。そして経験を生かすこと。

 今日一日を大切に。

計り知れない力

アルコール依存症 Iさん

 思わず、手にしたものに計り知れない力があった。今までの人生で滅多にない経験である。2度目の入院前、酷い連続飲酒でどうにもならなくなった。記憶にないが、自宅3階から自殺を試みたようだ。それで死ねる訳がない。苦しく辛い状態から逃げたかったのだろう。翌日、主治医に助けを求めて、2度目の入院となる。入院は経験していて何とかなるとは思えない。でも、何とかしたい。「助けて」を言えた。奇跡の始まりだと思う。入院中既知の看護師から12ステップをRDで学んでみてはと提案される。AAや12ステップも名前位は知ってはいたが、効果があるとは思えない。だが、あの「強烈な絶望」が、その提案を強制的に受け入れさせた。順序は逆だが、とにかく12ステップから始まり、AAにつながってゆく。

 頭でっかちでプライドの高い自分には合っていたのだろう。学ぶことで、ミーティングで話されていることの本質が理解できた。自分が「何者か」をはっきりさせる為に、過去を明らかにするのだと。RDに通い、ミーティングに通うことが苦ではなかった。ただ、RDでも多くの提案がある。棚卸し、埋め合せ、祈りと黙想、それが何になるか分からない。拒否はできない。拒否をすれば、以前の生き方しかない。その結果は分かっている。手放す選択肢はない強迫的ステップ3である。ありがたいことにRDの仲間やAAの仲間は真剣であった。それを受け自分も素直に取り組めた。真剣さを隠す必要もなかった。

 結果は徐々に現れてきた。ミーティングが楽しくなってくる。仲間に会いたいと思うようになってくる。小さな喜びや幸せを日々の生活で感じる。とうとう、アルコール依存症になって良かったとさえ思えてくる。そう感じることが生き方を根本から変える力となり、酒の必要ない人生が与えられている。これが計り知れない力だと私は思っている。


修了生体験談 Vol.2 8ページ(PDF版)

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