毎月発刊しているニューズレターの最新号を掲載しました。
こちらよりPDFで閲覧が可能です。修了生の体験談や施設の近況等、ぜひご一読ください。
体験談「かつてどのようで 何が起こり 今どのようか」 修了生 アルコール依存症 K・Sさん
私は四人兄弟の三番目として産まれ、父の仕事の関係で幼少期から引っ越しを繰り返していました。父方が依存症家系で、親族の集まりの際は酒がつきもので、五分もしないうちに怒号が飛び交っていました。そんな中で物心がつくより早く飲酒に繋がり、正月など飲むと周りが喜ぶことから、そのまま機会飲酒へとつながりました。
家庭内では父が姉、兄に手をあげているのを怯えながら過ごし、そのために人の目を過剰に気にして、逃避する習慣が育まれていきました。
中学に入り、隠していた恋愛が学校中の噂になったことから人間不信に陥り、習慣飲酒が始まりました。 大学に入学したものの、飲酒しながら通学して学業に身が入らず、アルバイト三昧の日々を繰り返していました。三年半経過したころに正社員雇用の提案があり、そのまま中退しました。
社会人生活を始めてしばらくは問題なく過ごせたものの、徐々に過労による睡眠不足もあり、酒席での失敗も生じるようになりました。職場が外国人の多い特殊な環境で、朝からスパークリングワインで乾杯、賄いや息抜きの度にワインを当たり前のように飲む環境の中、アルコールが抜ける暇がない日々が続きました。閉店後も毎日が宴会の日々で、飲酒量が増えていきましたが、上手く付き合えていました。
15年位前から徐々に体の不調を感じ、医療機関の利用が増えていきましたが、まさかアルコールに問題があるとは思わず、原因不明の状態の中で同棲していたパートナーとの関係も悪化し、破局しました。
実家に帰るものの精神的にもボロボロで食事もとれずに体重も15キロ以上減少し、幾度かの救急搬送の末に10年前に低カリウム血症にて大学病院へ入院しました。栄養不足で歩行困難から回復した際にアルコール依存症として海沿いの病院へと転院しました。
プログラムを学ぶも自分で病気を納得せずに、退院の際にも断酒でなく節酒でいく旨を伝え、食事さえ摂れば大丈夫だという妄想で5年が経ちました。
少しずつ身体が蝕まれて5年前に自分の意志で入院を選択しました。当時はコロナ禍で自助会はおろか、外出さえできない状況でした。2度の入院により知識は得て、退院後は通院や抗酒剤、院内デイケアの通所はするものの完全に断つことは出来ませんでした。
2年前の11月、ペットロスを機にアルコールに手を伸ばしたことをパートナーに見つかり、強制的に入院することになりました。姉弟に連絡したものの複数の入退院により愛想を尽かされ、経済的にも破綻、パートナーからも完全に治るまで帰ってくるなといわれる中、どん底の入院生活が始まりました。ある日、院内メッセージに来られるグループが日中にミーティングを行っていることを知り、興味を持って会場に行く事にしました。
不安な気持ちの中会場に入ると、先行く仲間が暖かく迎え入れて下さり、自分の居場所を見つけられた感覚を得て、毎日楽しみながら自助会へ通う日々が始まりました。 充実した入院生活の中で退院後の事を考える時期が訪れ、いくつかの施設を見学する中、座学でステップを学ぶ事にて成長できると思い、RDデイケアセンターを選択しました。
寮では違うアディクションを抱えた仲間との共同生活となりましたが、親切に接してもらえたおかげで大きな問題も無く過ごせました。RDでは様々な依存症の仲間に支えられ、夜の自助会では徐々に知っている顔も増えて充実した日々を過ごせました。毎日のプログラムは視覚からも分かりやすく、進捗表により状況も把握しやすく思いました。担当スタッフとも徐々にコミュニケーションを取れるようになり、安心して取り組むことが出来ました。
棚卸しにより過去の自分と向き合う機会を得て、そこから浮かび上がる問題に直面することが出来ました。他者の責任と思っていたことが実は自分自身の問題だったことに気付け、問題の根本が飲酒でなく自身の性格上の欠点によること、それを取り除かないと生きづらさが解消されない事を理解し、取り組む意欲が湧きました。
その後、傷つけた人へ埋め合わせをする機会を頂き、思っていた以上の成果を得ることが出来ました。
本当に沢山の仲間に支えられ、ホームグループを決めたこともあり楽しい日々を過ごせています。日々の棚卸しで問題点にも早めに気付き、担当スタッフと相談させて頂きながら、これからも新たな生活の基盤づくりに努めてまいります。

